尾張を守護する金の鯱 |
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名古屋城は、関ヶ原の合戦後に江戸幕府を開いたかの有名な徳川家康が、慶長14年(1609)江戸幕府の東海の拠点として、また当面は大坂(今の「大阪」)方への備えとして清須(今の清洲)から名古屋へ遷府を決意し、翌15年に着工、17年頃に完成させた代表的な平城。以来256年間(明治維新を迎えるまで)、名古屋城は徳川御三家の筆頭尾張家の居城として栄えたとされています。
しかし、第2次世界大戦中の昭和20年(1945)5月、名古屋空襲の際に、大・小天守閣や本丸御殿をはじめ建物のほとんどを焼失してしまいました。現在の天守閣は、昭和34年(1959)に再建されたものです。
名古屋城で最も名高いのは、言わずと知れた金鯱。でも!金鯱がお城の天守閣の上に登ったのは、名古屋城が初めてではないのです。初めて天守閣に金鯱が輝いたのは、織田信長が築いた安土城。でも、この金鯱は名古屋城の全身キンピカではなく、目やウロコなど、部分的に金箔が貼られていたそう。全身ピッカピカのシャチが登場したのは、豊臣秀吉の築いた大坂城が最初のようです。でも、安土城や大坂城はもちろん、江戸城などの金鯱は、その後火災などに遭い姿を消してしまいます。
しかし名古屋城のシャチ様だけは生命力逞しく、尾張名古屋のシンボルとして昭和の世まで伝承されてきました。惜しくも第2次世界大戦の戦火により天守閣と運命を共にしましたが、昭和34年(1959)、天守閣と共に再建され、再び市民の前にその姿を見せてくれるようになりました。やっぱり名古屋城のお空には、これがキラキラしてないと!!ちなみに、2体ある金鯱の北側がオスで、南側がメスで、ウロコの数もオスが112枚、メスが126枚とのこと。高さや重さも微妙に違うなんて、知ってました?コレって、芸術品ゆえのこだわりなのでしょうか……?
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