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伊勢山神明社
下茶屋公園
古渡城址
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(4)伊勢山神明社
神明社という名の神社は全国各地にあり、これらはすべて伊勢信仰に由来するものです。各地の武将が所領を寄進してその地に伊勢の神霊を招いて祀ることから始まりましたが、近世になると新田開発などの折に神明社を創建することが盛んになりました。名古屋西部の中川区、中村区に「神明社」が多いのはそのせいです。
ここでは、人々が「お伊勢さんが祀ってある小高い所」ということから「伊勢山」と称えて安らぎの場としたことが、伊勢山という地名の由来となっています。
鳥居の形は神明社に見られる「神明(しんめい)」系とその他の神社に見られる「明神(みょうじん)」系に大別されますが、神明系はシンプルな形状が特徴です。
(5)下茶屋公園
江戸時代の大名庭園の形式を残しています。
池の水はどこから来ているのでしょうか。
現在、東京大学のキャンパスに残る三四郎池と同様に、台地を掘り下げていき、下を流れる地下水を池として表に出し、再び地下水脈に戻すという形なのではないでしょうか。
(6)古渡城址
古渡城は大津通りの東別院交差点北西角、現在の下茶屋公園と東別院のあたりにありました。当時は東西140メートル、南北100メートル、周囲に二重の堀を巡らせていた巨大な城でした。
古渡城は天文3年(1534年)に織田信長の父・信秀が築城したのが始まりです。
今も東側がぐっと低くなっていますが、当時、東側は海があり、南に鎌倉街道(すなわち当時の東海道)が通っているという人通りの多い場所でした。
信秀は那古野城(名古屋城の前身)を信長に譲り、この城に移りました。信長が13歳の時、ここで元服をしたことでも知られています。 その後、天文17年(1548年)に信秀が末森城に移り、信長も清洲城に移ったため、廃城となってしまいました。現在は、本願寺東別院境内の脇にひっそりと石碑があるのみとなっています。
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【T】(1)金山総合駅(2)闇之森八幡社(3)古渡稲荷社
【U】(4)伊勢山神明社(5)下茶屋公園(6)古渡城址
【V】(7)栄国寺(8)日置神社
【W】(9)クスノキの大木(10)白山神社
【X】(11)大須観音(12)那古野山古墳(13)日出神社
【Y】(14)三輪神社(15)清浄寺(16)堀留橋
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