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栄国寺
日置神社
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(7)栄国寺
栄国寺のある場所は、尾張藩の刑場で千本松原と呼ばれていました。
ここでは江戸時代前期に全国に発令された「禁教令」をうけ、1000人を超えるキリシタンの処刑が行われました。
寛文5年(1665年)尾張藩2代藩主徳川光友が刑場を移し、それまでの刑死者を供養するために建立したのが、清涼庵(せいりょうあん)であり、のちに栄国寺と改められました。
千人塚と呼ばれる供養塚や当時のキリシタンの遺留品が展示されている「切支丹遺蹟博物館」があります。御本尊の阿弥陀如来像は名古屋三大仏の一つで「火伏(火防)不思議の弥陀」として厚く信仰されています。平安・鎌倉時代の仏師春日作と伝えられています。またここ橘町は、江戸時代にあった「橘座」という劇場が町の名の由来になっています。

(8)日置神社
このあたりは中世には荘園の名前として「日置荘」と呼ばれており、その中心に日置神社はありました。もともと「日置」の名は暦を司った日置部にちなむものです。
永禄3年(1560年) 織田信長が桶狭間の戦いに出陣するとき、戦勝を祈願したと伝えられる由緒ある古社です。この戦勝のお礼に松千本を植えたことから、以後「千本松日置八幡宮」とも呼ばれました。
現在では西側を通る伏見通が大きな通りですが、かつては名古屋城からの本町通が東を通っており、にぎわっていたようです。
本町通と呼ばれる城下町の大通りは通常、台地の一番高い所を通ります。ここでも同様で名古屋台地の尾根状の高い部分を通っていました。


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【T】(1)金山総合駅(2)闇之森八幡社(3)古渡稲荷社
【U】(4)伊勢山神明社(5)下茶屋公園(6)古渡城址
【V】(7)栄国寺(8)日置神社
【W】(9)クスノキの大木(10)白山神社
【X】(11)大須観音(12)那古野山古墳(13)日出神社
【Y】(14)三輪神社(15)清浄寺(16)堀留橋


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