名古屋市内、東山丘陵の末端部、住宅と大学に挟まれた所にこんもりとした森があり、空堀底から本の丸跡までは約7〜8メートルもあり中世・戦国時代の城、しかも都会の中にある平山城で、これほど良く遺構が残っている貴重な史跡の一つです。 蓬左文庫(尾張徳川家の文庫)に伝わる「末森城図」によりますと、城は東西46メートルの曲輪を形成し、二重の堀がめぐっていたといわれています。
神社前の広場が本丸、神社の建物が建っているあたりが丸馬出しで、そこから空堀を挟んだ西岸が馬出し曲輪、大学が建っているあたりが二の丸だったそうです。現在の遺構は小牧・長久手の合戦をひかえた信長次男の織田信雄が豊臣氏との緊張状態の中で改修したものらしいです。
城山八幡宮は、この末森城址の殆どを境内とし、約1万坪の広さである。社殿は本殿、祝詞殿、幣殿、拝殿、廻廊、神門等からなり、末社には山神社(祭神大山祇神)、神明社(祭神天照大神)、津島社(祭神建速須佐之男命)、豊玉稲荷社(祭神稲荷大神)が祀られ、厄年の厄除けや交通安全祈願などを行っております。
それを今回、藤本尚也神職、生路邦仁さん(左) 禰宜さん(右)が紹介していただきました。