現在では庄内川の支流にしか思われない矢田川が、かつてはなかなかの暴れ川であったと前回お話しましたが、そんな矢田川の歴史の中でも、筆頭にあげられるのは一七六七年(明和四年)の洪水です。
この洪水によって矢田川は驚くべきことに、守山台地の先端部を突き破って流路を大きく北に変えたのです。
この大きな流路の変化の跡は、今も見て取ることができます。
名古屋市北区矢田町の矢田川沿いにある守山台地の先端部に建つ長母寺、木ヶ崎公園から対岸の宝勝寺(守山城跡)を見てみましょう。今では何百メートルもの幅のある矢田川をはさんで建っているこの二つの寺は、洪水以前には同じ守山台地の上に建っていたのです。 確かに見る角度によると、今でも陸続きに見えなくはありません。
矢田川はこの後も流路を順次北に変えていきます。最終的にその流れは名古屋市北区にある水草町、浪打町辺りを流れ、水にちなんだ地名を残しています。 この頃、矢田川と庄内川に挟まれた土地であった辺りには、その名のとおり「川中町」という地名が残っています。 矢田川は昭和初めに、庄内川に沿うような形に工事され現在の姿となりました。
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