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コラム名古屋の用水庄内用水 第6話 庄内用水の歴史-1
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 さて、ではいよいよ庄内用水の歴史を追ってみましょう。庄内用水は水量を確保するために、幾度か取水する場所を変え、それに伴って流路も変わっていきました。
 庄内川のもとの流路は明らかではありませんが、庄内用水が庄内川の河道の一部を使った用水であったと仮定すれば、二つの流れが別々に作られたのではないかと想像されます。
 地図をご覧ください。ひとつは、稲生(西区)で取水し南に向かって、かつての江川(庄内用水東井筋)となった流れです。
 ここは今では水の流れは姿を消し、代わりに市道「江川線」として人や車が行き交っています。
 名古屋駅の近くにある「柳橋卸売市場」で名の知られている「柳橋」はこの「江川」に架かっていた橋の名が由来となった地名です。
 もうひとつの流れが、日比津町(中村区)で取水し、南へ向かう中井川(庄内用水中井筋)と、南西に向かう稲葉地川(庄内用水西井筋)の流れです。
 これらについても現在は遊歩道などとなって水の流れが見えない所も多くなっていますが、稲葉地川で申し上げると、例えば名古屋音楽大学と稲葉地公園の辺りの佇まいに風情を残しています。
 恒久的な取水口(定井)が作られたのは、稲生で一六一四年、日比津で一六四ニ年であったといいます。

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