この後、日比津の取水口は庄内川の沖積作用で取水が困難になっていった模様で、五年後に廃止され稲生に移設されました。このとき稲生と日比津を結ぶ用水路が開削されたと考えられます。
稲生の取水口も、その後はほぼ一世紀経った一七四ニ年には水路に流れ込む砂のため水が流れにくくなり、庄内川をかなり遡った川村(守山区)に移されました。
取水口が庄内川と矢田川の合流点より上流となったことから、庄内用水は矢田川の川の下を水路トンネル(伏越(ふせこし)と言います)により越すこととなりました。
ところで川と川を交差させる場合、「伏越」と「懸樋(かけひ)」というふたつの方法があります。懸樋は流れが安定している場合に用いられ、天井川になりやすい所では伏越が用いられます。
矢田川の場合は上流に陶器の街があり、古来より陶土の採取・森林の伐採が行われていたことから、川にも大量の土砂が流れ込みがちであったため天井川になりやすい要因を持っており、伏越が用いられたのです。
矢田川を伏越で通り抜けた庄内用水は大幸川(当時は北区志賀町から西区児玉方向、ちょうど西に向けて流れていました)を使って従来の用水路に水を供給しました。
(注)「大幸川」については、シリーズ第2回「名古屋 川ものがたり」をご覧ください。 |
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