明治の文明開化と共に産業都市へと発展した名古屋市が、笹島の貨物駅と名古屋港を結ぶ輸送路として開削し、昭和5年10月に完成した運河。中川運河と堀川の水位が違うために、パナマ運河と同じ原理を用いた松重閘門という水門を使い、堀川と中川運河の間に船を往来させていました。当時は“東洋一の大運河”との呼び声も高く、一大貨物輸送路として、また市の排水路として活躍しました。