室町時代には、南区から緑区にかけて約100町の塩田がありました。塩付街道は、そこで作られた塩を北方の内陸へ運ぶ道として利用されていたのです。街道の名前は、馬の背に塩が付けられて運ばれたことが由来で、馬の安全を祈ったとされる馬頭観音や地蔵菩薩が今も一部残っています。昭和区石仏の白山社あたりには、当時の町並みが残っています。